思うに

’09年にディープ・インパクトを受ける。
翌’10年10月13日にセカンド・インパクトを受ける。
その時点で、W氏に、「きっとそのうちサード・インパクトも受けるよ」予言される。
果たして、’11年12月1日、サード・インパクトを受けるに至った。W氏の予言どおり!

予言されたときは、まさか自分にそんなことが起るとは、思ってもいなかった。
確かに私は、「それ」を強く切望していた。
しかし今生で、この私ごときが、そんな恩寵に与れるとは、想像もしていなかった。

かの場所から、お暇をいただいてから、もう2度とその道に足を踏み入れることはないだろうと思っていた。以来、ひとり、何の指標も無く谷を彷徨い歩いていた。唯一手には、古い伝え聞いた言葉を残す数冊の書物があるのみだった。

しかし、3年前にK氏に出会い、彼の言葉に激しい衝撃を受けた。
それまで自分のやってきたこと、信じていたこと、その本質を鋭く突かれ、文字通り頭をぶん殴られたほどの衝撃だった。
それから、K氏を通して先出のW氏とのご縁があり、新たな衝撃を受けることになった。このご縁で、有り難いことに私の目からにさらにウロコが落ちた。
そのW氏がこれまた有り難いことに、私をしつこく誘ってくださり、もう一度その道を歩いてみることになった。
最初は、うかうかとその場に行った自分の浅はかさを責めた。そして罰当たりなことに、W氏を呪った。
しかし、切望して切望して、でも決して得られないと思っていた「それ」が、なんの前触れもなく突然訪れた。(訪れるという言葉も、「それ」も、どれも適切な言葉とは言えないのだが、いちばん近い言葉として仕方なく使っている)「それ」は、言葉では決して表現できない。閃光であり、永遠の光であり、全てであり、時間も空間も超越していて、かつ「無」なのだ。それは、この上なく素晴らしく、有り難く、美しく、「愛」であり、区別なく、部分でなく、全体で、ただの一つなのだ。

今は、心から、このご縁とW氏に感謝してもしきれないくらい感謝している。言葉では、とても言い尽くせないほど、感謝している。
そして、そのおかげさまで、ご老師ともご縁を得ることができた。
また再び、戻るとは思ってもいなかったが、これも彼のかたのご慈悲、お導きなのであろうかと思う。(これも彼のかたなどいないのだが…。いるけどいないのだ)
今は、この恩寵をこのままにせず、また自分だけのものにもせず、日常をどう生きるか。「阿留辺幾夜宇和」を思いながらである。
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by nyoirin | 2012-05-02 15:03 | 日記

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


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