またしても(?)表層の話

もろもろが上手く行かなかったり、それぞれの思惑が錯綜したりするのは、誰しもがこの世の表層しか観ていないからだ。
人は、自分の見たいものを見たいようにしか見ない。
その上、見たものに対して、あれこれと思考を重ねるから、さらにややこしくなる。そのことが、苦しみを生み出すのに、誰もそうすることをやめようとしない。
何故だろう。
そもそも、何故人類は、最初から誤った道を歩いてしまったのだろう。
何故自然に「それ」に気づいている道を選択しなかったのだろう。
そこさえ誤らなければ、今全ての人が苦しみから解放されていただろうに…

翻って、今、私はそのことから、改めて行動基盤を見直さなければならない。
今回のことから学んだことは多い。
20年余りぼーっとしていて忘れていたことを、思い出させてくれた。
何故私がそこから遠離っていたか。その理由を、すっかり忘れていた自分が、情けない。
今回のことは、なにより私の軽率な行動が原因だ。
ただ一つの救いは、深みにはまる前に、回避できたこと。
不思議な流れで、すんでのところで水を元の田畑に引き込んでくれたかたがいる。
私は、自然に誘われるように、そのかたの指し示す水の流れに乗って、その田へ着いた。
そのかたも、そんな働きをしたこと、今でも意識していないと思う。
私は、心から感謝してやまない。そのかたがいなかったら、あの場で私たちを呼んでくださらなかったら、私は深みに嵌って、がんじがらめになり、いずれ身動きがとれなくなっていただろう。
そうなってからでは、同じ行動を起こしたとしても、今よりずっと傷も深くなっていただろう。
それを思えば、今このくらいの痛手、痛手のうちには入らない。

さて、この夏の挑戦を最後にするだろうと、密かに自分の中に実は決めている心がある。
それは横に置いておくとして、来年からのことである。
もしかしたら、来年から春も最後にするかも?しないかも?それはまだ決めかねているところがあるが…
いずれにしろ、真に表層から離れるのであれば、するべきことがあるだろう。
真剣に取り組むのであれば、そうすることが正しいのではないか。
おりしも、来年の秋に既に決めていたのは、このことを暗に示唆していたのかもしれない。
その先は、わからない。
その先の、まだ漠然としている「約束」のようなものは、果たしてどうなるのか。
ひとつだけ懸念があるのは、経済的な問題だ。
自分だけのために、それだけのものをつぎ込むことが良いことかどうか。それだけのものをつぎ込むだけの意味が、あるいは価値があるのか。
そう考えると、辞退させていただくこともあるかもしれない。
そしてとうとう独りになって歩いて行くことになる。
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by nyoirin | 2012-07-22 16:32 | 日記

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


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