成ること

ずっと以前に、人は成ってゆくのだと書いたが、それは間違っていたので、訂正する。
成ること、成ってゆこうとすることが、人々に苦しみをもたらすのだ。人々とは、我々のこと。

彼女の最後の日記を読んだが、改めて私は、彼女から卒業したと、確認できた。
そこには、ある悲しみがあった。

彼女は、最後まで成ってゆこうとしていた。
よって、最後まで苦しみを抱えて生きることとなった。
人生の晩年、彼女は、ほぼずっと毎日怒っていたようだ。
今の日本の現状、事象、社会、人々(おもに若者)、文化人・インテリと呼ばれている人々、出版社、などなどに対して、「汚い、汚い、汚い!」と、ずっと叫んでいた。
それに対して、自分はものすごい「俺様」ぶりだ。
自分は今や、肉体的には表面的には日本人だが(日本人に生まれてしまったのだから仕方ないと、悔しそうに言う)、今や中身はほとんどフランス人だと言い切っている。
また、「常に、日本のトップクラスの男達の中で、鍛えられてきた私。最近のインテリとは格が違うんだ」という趣旨の発言が各所に見られた。
また、「私は、常に、愛する男から愛される女だったなあ、とつくずく思う」という発言も、繰り返し繰り返し出てきた。また「愛しても愛されなかった女が、その切ない心情を綴って小説などを書いているが、私は、そんな女が大嫌いである」とも断言している。

彼女は、カトリックの神秘家の体験を、自分も得たいと強く求めていたのではないかと推測されるが、この日記を読む限り、最後までその望みは得られなかったのではないかと思う。
神秘主義者たちは、どうしてもカトリックというカテゴリーの中で思考してしまうので、その体験を神の啓示として受け止めてしまうのは致し方ないが、全く間違っているという訳でもないだろう。
せめて、彼女にも、それが訪れていれば、晩年になってもここまで怒りながら暮らすこともなかったろうにと、気の毒に思う。

彼女は、最後まで、ここではないどこか(日本ではないフランス)、今ではないあの世(神の国、天国)を、求め続けて生きたようだ。
それが、全くの見当違いだということに、気づかなかったのは、悲しい。
やはり、自分自身でも何度も言っているように、彼女が非常に頭脳明晰で感覚的にも鋭いものを持っていたであろうことが、災いだったのかもしれない。
それが訪れるのを、いちばん妨げているのは「思考」だからだ。
それに、彼女が深く傾倒していったものが、フランスとヨーロッパの地であったことと、キリスト教(カトリック)であったことも原因である。
カトリックでは、なにより神との合一を求める。人々はそれぞれは個人主義で、一人一人が一人ずつ神と合一するするのだ。
神とは合一するが、生きている人間同士は個人主義でバラバラである。そこにこそ、苦しみが生まれる。
彼らは、そこに気づかない。
それが訪れるのを妨げるのは、「我」だということにも。
ひたすら、ペルソナとペルソナで向かい合って、つまり相対的な認識しかしないのだ。
この世を、世界を、宇宙を、相対的に見ては、絶対にいけない。
ただの一つものだということに、気づくことがなにより重要なことだ。
私もあなたも、無いということ。

彼女が、最後まで苦しみの中にいたことが、悲しく残念に思う。
私が、ある意味指標を無くし、一人迷っていかなくてはならなかった時期、私は確かに彼女に支えられていた。
あの頃は、彼女ともう一人のかたの著作しか、私にはなかったから。
だが、今に至り、彼女の手を離れ、また歩いているということ。一人だが一人ではない。
一人などということも、「私が」などということも、全て幻想なのだから。

そのもう一人のかたは、もしかしたらずいぶん前から、そのことを知っているのかもしれないと思う。
まだ、はっきりしないが。
次の作品に期待している。

















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by nyoirin | 2014-01-31 11:37 | 日記

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin