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亡命ではなく

エックハルト「神の慰めの書「より

そこで人間は、自己本来の遺志を放棄し、自己の我を断念し、断固として神の人間にあたえ給うすべてのことの中へと脱出(亡命)することが、自己にとって正しく賢明にして回心の業なることを悟らなければならない。
我らの主の「人もし我に従い来たらんと思えば、己を捨て、己が十字架を負え」(マタイ伝第16節第24節)との御言は、深くその意を汲めば、そのようなことを意味するのである。
すなわち、己が十字架を負えとは、十字架であり苦悩であるすべてのものを己自身より棄却せよとの謂れである!
けだし、己を捨て、あますところなく己自身より脱出した人にとっては、もはや十字架も苦悩もなく、すべてはただ歓喜であり、快心事であり、このような人こそ実に神に従い至るからである。


物理的な位置関係や形が、実際にあるわけではない。従って、実際は亡命ではない。
だが、ここでのエックハルトの謂いは、私には同じことを指して言っていると思えてならない。
徹底的に我を潰してしまえば、こんなに自由なこと、こんなに楽なことはない。
まさに、すべてはただ歓喜であり、快心事である。
ただ、最終的に2元性に落ち着いているところだけは、異を唱えたいが・・・
by nyoirin | 2015-02-08 18:36 | 日記

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin