「空中庭園」 11.11.friday

「空中庭園」を観た。ネタばらしありなのでスルーする方はしてください。
 角田光代の原作を読んで面白かったので、ぜひ観たいと思い、今週で終わってしまうのでがんばって観にいった。
 原作では、登場人物一人ひとりの別々の視点から物語が語られている。映画では、そこは忠実には描かず、普通に進んでゆく。多少内面の独白みたいなものも織りまぜられるので、そのへんは曖昧な感じを受けた。原作と映画との個々のキャラクターのイメージの違いは、読んだ・観た人の数だけあるとは思うが、私の場合、小泉今日子は可もなく不可もなく、ダンナ役の板尾はキャラピッタリだが活かしきれてない、もっと情けなくてだらしない感じを出してほしかった。大楠道代のおばあちゃんはかっこよすぎ。ソニンのミーナは力強すぎ。もっとブリブリしていて、もっと一見バカっぽくてでもけっこうしたたかなところを出せなくては。永作は不思議ちゃんかわいすぎ。彼女の役所はずっとギスギスした、頭でっかちの独身女性で、本人も気づかないところでおばさん化してしまっているのだから、永作だとソフト過ぎるしかわい過ぎる。でも、そこをあまりリアルにすると絵的に観たくないかも。娘役の鈴木杏は、好きだから許す。淡々としたところがまあ良かったのではないか。その弟は合格。
 まず、タイトルから、画面がゆっくり回転するのだが、それがしつこいので、少々気持ちが悪くなった。途中もその技法(?)が、けっこう長く使われているところがあって、本当に気分が悪くなってきたので目をつぶって台詞だけを聞いていた。
 あの原作を映画ではどうやって終わらせるのかと思っていたら、絵里子(小泉)の誕生日をなんやかやいっても夫も娘も息子も憶えていて、それぞれ考えてプレゼントを用意して帰宅する。三人とも同じバスに乗り合わせて、家のドアの前でプレゼントを手に準備して絵里子がドアを開けるのを待っている。「おかえり〜」という恵里子の声。それぞれのプレゼントがアップでスローで順に映し出される。空中庭園をバックに繰り広げられる妄想の学芸会はこの先もずっと続けられていくだろう・・・。めでたしめでたし・・・。
 というラストシーンの前に、血の雨が降る。土砂降りのなか、空中庭園に一人立つ絵里子に降り注ぐ雨が、いつしか血に変わり、滝のように注ぎやがて川になって団地の長い階段を濁流となって下る。絵里子は頭から血みどろになって、泣き声と思しき叫び声を何度もあげる。「なんじゃー?まるでホラーじゃー」と思ったが、途中で気がついた。おりしも今日は絵里子の誕生日。「赤ん坊は、生まれてくるときに、血にまみれて泣きながら生まれてくる」と「人生はくり返し、やりなおし」という言葉が、祖母(大楠)の台詞として途中に出てきたから、絵里子はこの日また、くり返し生まれかわって、やりなおすんだ、今日絵里子はまた生まれ直したんだ、ということが言いたいのだと。にしては、わかりにくいし、あまりに唐突だ。考えをめぐらさなければ思い当たらない。映像としても美しくない。この監督まだ若いな〜と思った。でも最初はみんなそうなんだから、これからかもね。と思ったが、この監督なんやら保持で捕まってしまったそうなので、これからがあるかどうか・・・。多少もったいない感じがなくもない。馬鹿だな〜と思う。
 さらに、今気がついた。妄想の学芸会が続くのではなく、絵里子は生まれ直したんだから、もしかしたら新しい本物の家族の物語が始まるのかもしれない、という予感を示唆しているのだ、きっと。だから、プレゼントのすべてが「白」だったのだ。真っ白、まっさらに戻って、これからやりなおすのだ。「希望」で終わらせているのだ。まるでスティーヴン・キングの「霧」のラストみたい。だとすると、血の雨のシーンはやはりホラーでいいのか?!
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by nyoirin | 2005-11-11 12:05 | 映画・ドラマ

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin