引用と暗喩

 私は、頂点だけでよかった。だが、当時、彼というパイプを通さなければ、あるzoneに入れないと、未熟だった私は感じていて、だから、なかなか踏み出せずにいた。離れることを、夢想しつつも、その場に留まり、状況を少しでも良い方向に変化させることができるようにと、いろいろと試みた。どんなに誤解され、濡れ衣を着せられようとも、そこに留まらなければ、頂点を見失う。
 
 だが、一冊の本が、私の背中を押すことになる。
 私もまた、あの神父に似た彼から(私も彼を通して頂点と言うべきか?)、何年にもわたって果てしなく豊かなものを教わった。この目に見えない富をいただいて、Tのように軽々とは言えないまでも、私も私なりに細々と、濁流から飛び立ち、出発した。無限大の、そしてもしかしたら、無限小の、「充満」した「空」へ。そしてTの言う「苦痛の谷」であるところの「無明の谷」を、私も行く。
 私の魂は、Tのように、飛び立ってしまっているのだろうか?

 私はこちらへ来て、「あたりまえ」こそが「ありがたい」ことだということを、思い知ることができた。「今」「ここ」が、どんなにありがたく、奇跡であることか。毎日が、こんなにも幸せである。表層の黒猫は相変わらずだが、いくぶん大人しくなっているようだ。涅槃寂靜の頂点が、私たちの20兆の細胞のひとつひとつに宿っている。解脱しているという彼の方だから、涅槃で永遠の午睡を楽しんでいらっしゃるはずだ。ならば辺満とはこういうこと。ひとつにとつに存在すると同時に、全てを内包している。

 私はまた、あらためて、その実感に向けて、一歩を進める。「禹歩」として。
[PR]
by nyoirin | 2006-10-07 00:19 | 日記

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin