2007年 01月 09日 ( 1 )

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「鉄コン筋クリート」を観てきた。近所のシネコンではやっていないので、ものすごく久しぶりに新宿ミラノ座に行った。おおっ、もしかすると20数年前に「風の谷のナウシカ」を観にいって以来の歌舞伎町だっ。新宿駅から歩きながら、靖国通りを横断するんだっけ?と、そこさえも忘れているわたくし。
思いのほか人気で、一階下の階段まで並んでいる。早く観にいかないと終っちゃうと思って、休みの最終日にもかかわらず行ったのだが、杞憂だったか。男女比は5対1というところか。

作品は、この映画にかかわった全ての人が、「鉄コン」にものすごく思い入れているというのが、よお〜くわかるものだった。隅々までとても丁寧に描き込んであって、一度観ただけでは見切れない。しかし、なぜなのか、だからこそなのか、そこに原作以上のものは感じられなかった。私が初めて「鉄コン」に出会ったときの、衝撃!クロとシロのスピード!鈴木、木村、ヘビ、沢田、藤村、などの存在感!すべてが原作どおりで、私は原作さえあればいい、という気持ちになった。
ということは、ある意味すごいことかも。原作をまったく損なうことなく、原作どおりにアニメ化出来たということだから。
ただひとつ、クロがイタチと対決するクライマックスに至る導入部分で、暗闇の中をある一点に向かって疾駆するシーンは、素晴らしかった。これこそ動画ならではだ。観る者を、根こそぎ拉致して“そこ”へ連れていかんとしていた。もう少しだけこのシーンが長かったら、私は、クロが立たざるをえなかったそこへ、本当に入っていけたかもしれない。
“そこ”とは、いわば「そもそもの場所」へ至る前に、人が自分自身と決着をつける場所だ。生きながらにしては、決して至ることの出来ない「そもそもの場所」、そこへ還ってゆく前に、人はまず“そこ”で、己と決着をつけなければならない。だが、そのためにはなぜか人は自分一人ではダメなのだ。

だから、「クロの足りないネジ、シロ全部持ってたのね」というシロの台詞には、涙してしまった。う〜…くく。松本大洋のテーマと言えると思う「対」とでも言うもの。「花男」の父と息子、「ピンポン」のスマイルとペコのように、一見すると、一方的に強いAが弱いBの面倒をみているようだが、その実、BこそがAを支えているという関係性。しかし本当は、どちらか一方から他方へという一方向だけではなく、相互に支えあっている、というか、お互いがお互いを受け持っているいるのだ。そこで私はジョン・アーヴィングを思い出す。「ホテル・ニューハンプシャー」でそれが際立っていたと思うが、「全ての人間に「対」なる相手が必ず存在し、人はみんな、その相手をお互い引き受けるのだ」(表現は違っていると思う。ごめんなさい。記憶だけで書いているので)ということを。

こうしてクロは、シロの存在に力を得て、自分に決着をつける。私は私に決着をつけなくてはならない。あなたはあなたに決着をつけなくてはならない。
クロとシロは、雨雲を突き抜けたのち、目のさめるような美しい青空を得ることができた。私が望んだのも、同じものだ。

 雨雲を 突き抜けてある その場所は
   そもそもの場所に 至る青空
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by nyoirin | 2007-01-09 15:26 | マンガ・アニメ

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin