カテゴリ:音楽( 37 )

10日にみなとみらいホールで、久しぶりに衝撃的なコンサートに遭遇したので、それ以来おかしくなっている。
ブルックナーの交響曲第9番。
拙い私の文章力では、とても表すことのできないくらいの、後世必ずや伝説として語られるであろうコンサートだった。
なんといっても第2楽章が大好きな曲だったのだが、もちろん全てが素晴らしかったのだが、第3楽章の弦がさざ波のように降りてくるところで、とうとう涙がこぼれてしまった。
あの日あのとき、その場にいることができたことに、心底感謝した。

以来、ずっとブルックナーを聴き続けている。
私のベスト盤である、ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ(’81年録音)の9番はもちろん、テンシュテッド&ロンドン・フィルの8番、カール・ベーム&ウィーン・フィルの4番などなど、この春私は、ブルックナー漬けである。

それらを聴きながら、仕事を進めているわけだが、きっと出来上がったあと、この作品たちからはブルックナーの旋律が聴こえてくることかと思う。たぶん私には・・・。
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by nyoirin | 2013-03-21 16:29 | 音楽

ギドン・クレーメル

昨夜、ものすごく久しぶりにギドン・クレーメルのコンサートを聴きにサントリーホールに行った。プログラムは、フランクの協奏的ピアノ3重奏曲と同じくフランクのヴァイオリン・ソナタイ長調、そしてチャイコフスキーのピアノ3重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」だった。

生演奏はとても久しぶりだったので、CDの音に慣れた私の耳が、ホールトーンに慣れるのにややしばらくかかった。
フランクのメロディーがあまりにも美しいので、連日休みがなくて少々疲れ気味の私は、しばしば睡魔におそわれてしまった。
ピアノもチェロも、クレメラータ・バルティカのメンバーらしく、美しさと上手さを兼ね備えたお姉さんだった。
とくにチェロとクレーメルのヴァイオリンの音が、とても相性がよく、二人のハーモニーは抜群だった。
クレーメルは、若い頃の変態っぽさが抜けて、とても良い感じのおじいちゃんになっていた。なかでも高音のピアニッシモは、この世を突き抜けて、どこか違う次元に連れて行ってくれるかと思われるほど。

やっぱり、生は違う!と、しみじみ思った夜でした。
CDばかり聴いていちゃダメだわよ。たまには生も聴かなくちゃ。

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©Kasskara ECM Records
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by nyoirin | 2012-11-05 16:51 | 音楽
A HAPPY NEW NO NUKES YEAR !
旧年中は、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

今年は、気合いを入れてお絵描きに集中しようと思っとります。

今日のお絵描きのBGMは、いつもとちょっと違って、U2の「THE LOSHUA TREE」です。
冒頭のイントロがすごく好き。
なぜにこのあたりのアルバムを自分が知らないか?見れば、1987年とある。
それで納得。長男を出産した年だ。この年から私は子育て時代に突入したので、自称暗黒時代な訳である。89年に次男を出産したこともあり、この年から約10年以上、映画館にもコンサートにも行けず、TVもろくろく見られない時代が続いた。ので、87年から96〜7年くらいまでの諸々が欠落しているのだ。
「この曲知らない?すっごく流行ったじゃない」とか言われて、全く記憶にないときは、決まってこの時代のものなのだ。

でなんと、このアルバムを私に教えてくれたのが、長男なのである。面白いね〜001.gif
子育て時代の空白を、当の本人がうめてくれてるようではないか!
なんか、幸せを感じたのだわ。
今、それを繰り返し流しながら、お絵描き中。
イエイ!ハピネス!
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by nyoirin | 2012-01-10 19:03 | 音楽

BGM

昨日また、新しいF100号のキャンバスに地塗りをした。
今日から、新作にとりかかる。
もうエスキースは出来ているので、すぐとりかかれる。
で、今日のBGMは、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」とシノーポリ指揮のマーラー交響曲第5番。
ちょっと変な取り合わせですかしらん。
昨夜地塗りをしながら聴いていたNHKのラジオ深夜便での、月一の映画紹介のコーナーで、「ベニスに死す」が久しぶりにニュープリントで劇場公開されると言っていたので、そしたらやっぱりアダージェットでしょ、ということで、私も久しぶりに聴きたくなったのだな。
ケルン・コンサートのほうは、1週間前に聴きたくなったのだが、展覧会の会期中は無理だったので、今日聴いているのだ。
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by nyoirin | 2011-10-03 15:25 | 音楽

土踏まず週間のお供

11日から今日まで三日間、やっと「土踏まず」期間が設けられ、集中して仕事ができた。
どうにか、間に合いそう。

そんななか、今回のお供は、なぜかベートーヴェン。それもピアノ・ソナタばかり。
エミール・ギレリスで第8番『悲愴』、第14番『月光』、第17番『テンペスト』、第21番『ワルトシュタイン』、第23番『熱情』、第26番『告別』(以上CD2枚)。
ブレンデルで第30番、第31番、第32番。
この3日間、この3枚を繰り返し繰り返しで聴いている。

今までなら、ベートーヴェンは仕事をしながら聴くのには向いていないと感じ、敬遠していたのだが…

昔は、ブレンデルはいささか叙情性に欠けるな〜、と思っていた。モーツァルトの18番のソナタあたりだと、私としては、もう少し泣いてくれてもいいのにな〜、などと思ったりしたものだ。
だが、今改めてこうして30、31、32番を聴いていると、程よく抑制のきいた叙情性が感じられる。
感情に流されないで、ギリギリのところで踏み止まっている感じが、いい。

ギレリスのほうは、このCDに収められているなかでは、とくに『告別』が素晴らしい。
この人の音は、どうしていつも研ぎすまされた金属のように響くのだろうか。
とうとう生で聴く機会がないまま、鬼籍に入られてしまったのが、残念でならない。
そういえば、先頃ブレンデルも引退を表明したとか。もう、生で聴けないのかと思うと、こちらも残念だ。

などと、とぎれとぎれに考えながら、筆を動かした。
胸のはしっこに、モヤモヤしたものが少し残っているが、今回は仕方ない。これで、良しとしよう。
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by nyoirin | 2010-05-13 18:57 | 音楽
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今日は、久しぶりにどこからも呼び出しがない休日だった。
何気なくTVを見ていたら、4月からのNHKの新番組で『アマデウス』というのが始まると言っていた。プレ放送なのか、音楽探偵とかいう役で、筧が出てきて、何やら音楽の秘密を探るらしい。今日の題材がベートーヴェンの交響曲第7番だった。
『のだめ〜』効果で、このベートーヴェンの7番が広く聞かれるようになったと思う。

そこで突然思い出した。
長男がお腹にいたので、たぶん86年の末か87年の初め頃だと思う。クラウディオ・アバドがウィーン・フィル(おそらく)とこの7番をオーチャード・ホール(多分)で演るというチケットを持っていた!にもかかわらず、私はドクターストップで聴きにいけなかったのだ!
主人は、一人で出かけていった。その日は、NHK・FMで生中継があったので、私は自宅のスピーカーの前に仰向けになって、ハンカチを噛みながら(ウソ)聴き入ったことを。
ことのほか、素晴らしい演奏だったと、記憶している。
それで、この子が男の子だったら、悔しいから『亜羽人』と書いてアバドと読む名前にしてやるぅ〜!とか言っていたのだ。
それを今日息子に言ったら、「ドキュン・ネームじゃん、やめてくれよ」と言われた。
幸い息子はアバドくんではない。

それで、手近にあったクライバー/ウィーン・フィルで7番を聴いた。
すると、久しぶりに聴きたい病が発症し、やっぱりアバドっしょ、ということで、続いてブラームスの2番をアバド/ベルリン・フィルで。なぜブラームスかというと、これもすぐそばにあったので。
さらに、フォーレのレクイエムをヘレヴェッヘ/アンサンブル・ミュジック・オブリクで。クリュイタンスの盤が王道だと思うが、今日はこっち。
『慈悲深いイエズス』は、クリュイタンス盤のほうが透明感があると思う。けど、こっちも温かい感じでよろしい。
続いて、アシュケナージでベートーヴェンの『APPASSIONATA』と『PATHETIQUE』を。先に80年の録音を聴き、あとから70年の録音のを聴いた。

気がつくと、陽がとっぷりと暮れていた。

久しぶりに、思う存分聴けて、私は幸せだった。
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by nyoirin | 2008-03-29 23:41 | 音楽

SPARKLING GIRL by及川光博

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昨日みっちーの新しいシングルが届きました。
何かの予感を示唆するような内容だと思ったのは、私だけ?

今日大阪にいらっしゃる方々が、羨ましいわぁ。
わたくしのぶんまで、はじけてきてね♡

ところでみっちーは、先週から映画『プライド』の撮影に入ったらしい。
そこで私はそれより以前に、一条ゆかり先生の『プライド』を購入。
一気に読んでしまったわ〜。
一条先生のコミックを読むのは久しぶり。でも流石だわ〜。面白いわ〜。

神野氏に、みっちーはぴったりね。
でも、他のキャストを全然知らない。
史緒と萌を誰がやるかは、とても気になるところよね。
あと勝手に思ってるんだけど、神野ママは絶対野際陽子だわ!ダメ?
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生みっちーはしばらくおあずけだけど、この映画とまた今年のツアーを楽しみに、これからを生きるわ。
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by nyoirin | 2008-03-28 16:54 | 音楽
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 一週間前のある朝、突然私の頭に、『スターバト マーテル』なる言葉が浮かんできた。それから、顔を洗っているときも、歯を磨いているときも、朝食を作っているときも食べているときも、頭の中で、その言葉はくり返しこだましていた。途中家人と話でもすれば、それきりどこかに消えていってしまってもよさそうなものなのに、何をしても人と話しても、頭の中のこだまは消えなかった。 
 しかも、そのとき私には『スターバト マーテル』とはいかなるものかも、正しくは知っていなかったのだ。たぶん、曲の題名で、たぶんオペラか合唱曲なのではないか?ぐらいしかわからなかった。
 にもかかわらず、何故、その言葉がふいに現れて、しかも居座ってしまったのだろう。それは今もって謎なのだが。

 その夜、そのことを主人に話したところ、翌日出がけに一枚のCDを渡してくれた。どうやら主人のCDの暗黒山から、発掘してきてくれたらしい。それがこれ、『ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス ペルゴレージ作スターバト・マーテル』
 ううむ。ペルゴレージという名前も、私には記憶が無い。なのに何故?
 さっそく聴いてみた。第1曲目「悲しみに沈めるみ母は」。遠い昔か、1〜2度聴いたことがあるかもしれないくらいな感じ。聴きながら、解説を読む。今や、『「スターバト・マーテル」といえば即座にペルゴレージの名前が挙げられるといっても過言ではない』とある。しかし実際には、十字架の傍らにたたずむ聖母の嘆きを歌った『スターバト・マーテル』はグレゴリオ聖歌のレパートリーとしては、13世紀からの伝統を有しているらしい。十字架の傍らにたたずむ聖母の嘆き?!これか?もしかして、これかー?
 私はまた、十字架上のヨハネの世界に、アヴィラの聖テレジアの世界に、誘われてしまうのか?
 私はまた、ついうっかりして、大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのか?そしてそれに気づかぬまま、しばらく歩いてきてしまったのか?
 などと、つらつら思った次第である。

 いずれにせよ、無意識のうちに、何かで目にしたか耳にしたか、なのだろうと思う。が、その謎は解けないまま、今も、これを聴きながら、書いている。聴いていれば、いつか何かわかるかもしれないと思いつつ。これは何かの『啓示』なのかもしれないと、思いつつ。
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by nyoirin | 2007-09-19 16:10 | 音楽

『懺悔の値打もない』

嫁ロードから帰ってまいりました。おかげさまで、アウェイの鎮魂試合は今年もさして大きな支障もなく、無事終了いたしました。今回も、相手様の二軍監督とお会いすることがなかったのが、何ごともなかったことの大きなひとつの要因だったと思います。あとは、恒例年末年始祝典試合まで、おあずけです。こちらも日程を微妙に調節すれば、また二軍監督とお会いせずに済ませることは、可能かと思われますだに。なんとか、それを願うかぎりでございます。

ところで、深夜に帰宅して聴いた今朝未明の『NHKラジオ深夜便』で、昭和40年代の歌謡曲の特集をやっていました。私もとうとう、『ラジオ深夜便』で自分の記憶(まだ子どもだったとはいえ)にある楽曲を聴けてしまうお年頃になってしまったわけですが、そこで偶然、先日なんなんさんご指摘の阿久悠作詞『懺悔の値打もない』が流れたのでした。北原ミレイの歌だったのですね。1番から4番まで、真剣に聴きました。
私の率直な感想を言わせいただくならば、これは、“後ろ向き”というのとは違うのではないかしらん?
内容の暗さと14、17、19…と歳を追っていくところなど、藤圭子の『夢は夜ひらく』を彷佛とさせるものはありますが、全部「〜してみたかった(からだ)」と、言っているわけですし。荒んでいると言われれば仕方ありませんが。
阿久悠氏が言ったのは、“どうせ”という言葉には、最初から何もしないで諦めているというところが気に入らないということだったのだと思います。

とはいえ、またなにより「時代が違うな〜」とも思ったのでした。
今と明らかに空気のにおいが違うな〜、と。今だと考えられないくらい、暗いにおいのする音楽とか番組があったなー、と思い返しました。
『悪魔くん』実写版なんか、全編真っ暗な印象です。あんな暗い番組を子ども向けにやっていてもよかったんでしょうかね。
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by nyoirin | 2007-08-19 15:35 | 音楽

「どうせ…」

阿久悠氏が亡くなった。
生前彼が語ったことで、ひとつだけ強く私の記憶に残っているものがある。

彼は、何かの対談番組で(『徹子の部屋』だったかもしれない)詩を書く上で、絶対に使わないと決めている言葉があると言った。それは『どうせ…』という言葉だという。
「“どうせ”という言葉の後に続く言葉は、みんな否定的になる。“どうせ、私なんか(ダメなヤツだ)”とか、“どうせ、がんばったって、なんにもならない”とかね」と。「そんな詩を書いたって、意味ないでしょ。そんな後ろ向きな、希望のない、そういう言葉は書きたくないんだ」というようなことをおっしゃった。

その番組を観てから、私は、『どうせ…』と言いたくなるような時でも、そう考えないで、生きていこうと思った。

素晴らしい才能のある方だったと思う。
ご冥福をお祈りいたします。
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by nyoirin | 2007-08-04 15:40 | 音楽

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin