カテゴリ:マンガ・アニメ( 22 )

先週金曜に放送された冒頭6分38秒だけ観た。
今朝、次男の出勤前に、二人でもう一度ビデオでそこだけチェックした。
あれは、アスカとマリが二人で、護送中のエヴァ初号機を強奪しようとしてるのね。
十字架状の棺みたいなのには、シンジとレイが入ったまんまの初号機が入ってるのね。
あれの事実上の所有者は誰なわけ?やっぱりゼーレ?
それから奪おうとしているのは、ネルフってこと?
あ、でも十字架状の棺みたいなのに付いてたのはネルフのマークだった。013.gif
うーむ…
「破」で、第3使徒を切り刻んで研究したと思われるから、護送中の初号機を護衛してたのが識別ブルーの使徒なわけ?やけにメカっぽいけどね。

「なんとかしなさいよ!馬鹿シンジ!」とアスカが叫んだら、圧倒的な強さで護衛の使徒をズタズタにして静かに瞼を閉じたのが、中にいた初号機よね。
シンジはエヴァに乗っていて、明らかにアスカの声が聞こえたってことよね。

そいでもって、大気圏で流れ星みたいになって、地上に戻ってきた…
それを仰ぎ見るカヲルくん… 「お帰り。碇シンジくん」

エヴァは、使徒を模して作られた。
レイは唯。
カヲルは、使徒。であり、シンジ。
やっぱり「Q」では、シンジとカヲルの対決、つまりシンジの自己との対決よ。
そして形としては、エヴァ初号機とマーク6との対決。

もう観た人は、わかってるんだよね〜。
いいな〜。
早く観たいよ〜。
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by nyoirin | 2012-11-20 18:29 | マンガ・アニメ
細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」を観てきた。
「時をかける少女」「サマーウォーズ」と観てきて、新作は一応劇場で観たい監督だ。
ときかけは摩訶はまったので、サマー〜は期待大で観にいったのだが、私としては、ちょっと肩すかしだったわけだが、悪くはなかったので。
サマー〜は、ときかけがあったので、期待が大きすぎたのだと思う。

で、おおかみこども〜であるが…
悪くはなかった。良く出来ていた。出来としては、1番「ときかけ」2番「おおかみこども〜」3番「サマー〜」というところか。
私の勝手な想像だが、多分日本男児の方々にはかなり支持されるのではないか?
とくに宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」をこよなく愛する男性に。
つまり私としては、細田守お前もか?!な感じ…

前半、まさに自分もやってきた子育てを、具体的に細かく延々と見せられる。
母親一人で、しかもおおかみこどもだから、普通の人間の子よりもさらに大変だ。誰にも子育ての悩みを相談することもできないし、誰にも愚痴もこぼせない。
しかし、彼女は常に笑顔を絶やさず、キレもせず、怒鳴りもせず、子どもたちに接し、家事も家の修理も自分の仕事も、おまけに農作業も、一人でこなす。
泣き虫で甘えん坊の弟には、小さいときはこれ以上もなく優しい母親だ。
そして、気づくと、彼は亡き父親そっくりな少年へと成長している。
やがて彼は、狼として生きることを選択し、大嵐の日、巣立ってゆくのだが、そのとき!母は、笑って彼を見送るのだ。「生きるのよ!」とただひとこと言って。
かつ、この一連を、姉の雪のナレーションで語らせている!
なぜ「!」なのか、殿方にはわかるまい。

大嵐の日、姉の雪を迎えにくるよう学校から連絡をもらい、レインコートに身を包み出かけようとするのだが、登校拒否状態で家にいた雨が家から出てしまったのに気づく。そして彼女は雨を捜しに、学校ではなく山のほうに行ってしまうのだ。
結局、雪は誰にも迎えに来てもらえないまま、学校で一夜を明かすことになったはずなのだが、そのへんは映画ではスルー。
この日は、雨にとっても雪にとっても、人生において重要な日になるのだが、そのことと、私が疑問に思った点とは別の事柄だ。
にもかかわらず、この日のことを、雪は、なんのわだかまりもなく、母と弟の出来事として、実に明るく晴れがましいくらいな声で語るのだ。
有り得ない!

雨と母親にはひどくこだわっているのに、雪をはじめとしたその他の登場人物、韮崎(韮山?)のじいさんもそうだし、草太と草太の母親など、あまりにもステレオタイプだ。百歩譲って、周りの人々は仕方ないとしても、雪もそれではあまりにもいただけないのではないか。
雪の感情や内面への掘り下げが、あまりにも浅いので、私は軽い憤りさえおぼえた。

これは、細田守の理想の母親像をあますところなく提示した作品なのであろう。

がしかし、それでも映画としては、悪くない。
良く出来ていたと思う。
伝統的な日本男児の皆さまは、観にいらっしゃるとよろしいと思います。
必ずや、共感されることと思います。
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by nyoirin | 2012-08-05 13:10 | マンガ・アニメ

サイボーグ009

神山健治が、「サイボーグ009」を来秋公開するということを、ついさっき知った。

4分ほどの、予告編を観た。
私の記憶にある「サイボーグ009」とは、もちろん少し違ったけど、どうゆうふうに出来上がるか。観てみたいと思った。
ラストに、全員がそろったところが映し出されたが、それぞれオリジナルと違っていたので、「?」とは思ったが、神山健治の009だから。石ノ森章太郎のとは違って当たり前だから。

ストーリーはどうなるのだろう。
最近小説として出版された天使編なのだろうか。
それとも、神山健治が新たに書き下ろしたものだろうか。
調べてから書けってはなしですよね。

申し訳ない。
あまりに疲れているので、今日は寝ます。
おやすみなさい。
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by nyoirin | 2011-10-04 23:57 | マンガ・アニメ

漫画熱にまた?!

山岸凉子の「テレプシコーラ」を全巻大人買いしてしまったら、久々漫画熱に火がついてしまった。
これはとてもよろしくない事態かも。
だって、読みふけっている時間はないのだもの。
しかーし!手元に届いたら、読まないわけにはいかない。

そしてさらに、ア◯ゾンに再度行ってしまい、つらつらと昔なじみの漫画家さんのページを見てしまう。すると、さらなる誘惑が、私を苦しめる。

でもそこで、私の愛読漫画のカスタマーズ・レビューを読むと楽しい。
私の思いと同じような、熱い思いを語ってくれているのを読むのは、共感をともにして嬉しく思う。

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そしたら、内田善美の「空の色ににている」を、またまたまたまた読みたくなった。
驚いたのは、ア◯ゾンではマーケットプレイス扱いの古書しかなく、その値段がびっくりするくらい高かったこと。
実はこのコミック、2冊同じものを持っているのだ。
なぜかというと、いつものことだが、最初に買ったものが暗黒山の奥深くに埋もれてしまい、ある日(今みたいに)どうしてもまた読みたくなったのに、すぐに見つからなかったのだ。それで、仕方なく本屋さんに行って、同じものを購入してしまったのだ。たぶん10数年前だと思う。その頃は、まだ本屋さんに並んでいた。
2度目に買ったものは、仕事部屋においてある。が、今はキャンバスの向こう側の暗黒山にあるので、場所はわかっているのだが、手が届かない!なんということだ!予想外に読みたい熱が復活してしまったばかりに、このようなことになろうとはっ!

なんとかキャンバスをずらして取り出すか、それとも、読んでるヒマがないのだから、潔くあきらめるか。
さっさとあきらめて、仕事しろってことですよね。
まったく、困った自分!
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by nyoirin | 2011-08-07 12:40 | マンガ・アニメ
今月19日から始まるイラストのグループ展に出品する作品を、目下制作中。
その今日の音楽のお供は、押井守監督作品「GHOST IN THE SHELL」のサウンドトラック。
先日、CATVで2.0のほうを放映していた。もちろん観たし、録画もした。それで今日は、あらためてまた聴きたくなって、CDを暗黒山から発掘。もちろん’95年盤だす。

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写真は、今年公開された2.0の映画パンフレット。
「スカイクロラ」と、はしごして観たやつだ。

今描いている作品は、また久しぶりの水彩。今一枚乾かしているのよ。
だから、ブログなんて書いちゃってるの。PCで描いているときは、こういうインターバルがとれないから、つまんないのよね。続けようと思えば、いつまでも続けて描けるでしょ。コーヒーを温める合間もないのよ。
つまんないわ〜。
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by nyoirin | 2009-09-05 17:46 | マンガ・アニメ
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1週間前の月曜日、エヴァンゲリヲン2.0『破』を観に行った。
まず、弐号機の登場シーンにやられてしまったわたくし。
その後、あれよあれよと唖然としているうちに、『ともだち』が!
庵野の反則野郎!ずっこだぁ〜!と、思わず立ち上がって叫びそうになった。
そのうえ、ラストは『翼をください』だとぉ〜?!!!
ええ〜〜っ!!アスカー!!!
ああ〜っ、律子みなまで言わないでー!(「そのもの青き衣をまといて〜」のおばばを思い出す)
などなど、
いちいち立ち止まって、考えていたら、映像の素晴らしさと展開のすさまじさで、何がなんだかわからないうちに終わってしまった。
最初の率直な感想は、「庵野、あんたは偉い!素晴らしい!サイコー!」だ。
ハリウッドの、どんなCG映画にも勝ったと思った。
だが、わからないことがいろいろ……

三日に『序』が地上波初登場。もちろん録画した。
観た。
『破』を観た後では、テンポがゆっくりで、まだTVシリーズに準じている感じがした。
いろいろ思い出すことが出来、ふむふむとうなずいた。

そして今日、今一度『破』を観てきた。
そして、やっと気が付いた!
この『エヴァンゲリヲン新劇場版2.0」は、まさに『新』だったのだ。
カヲルが、なぜ『序』から登場していたか、そして『破』の最後のカヲルの台詞
「シンジくん、今度こそキミには、幸せになってもらうよ」
この2.0は、あのTVシリーズのその後を引き継いでいてしかも違う次元での物語なのだ。
(続・新・エヴァンゲリヲン外伝とでも言うべきか?…)
唯一、人間ではなく使徒であったカヲルだけが、TVシリーズの次元・時点の記憶を持って、この2.0に臨んでいるのだ。
カヲルの乗るマーク6は、月で他とは違った建造方法をとっている。
それは、TVシリーズの最後で、ロンギヌスの槍に貫かれ、月に突き刺さった初号機から創られたからだ。
だから、『破』のラストで、カヲルは、月から抜いてきたロンギヌスの槍を持って、レイを取り込んだシンジの乗る初号機を貫いての登場なのだ。
そこで先の台詞だ。つまり、今度こそ、カヲルは、自分の思いを遂げるために、ご降臨なさりやがったのだ。

続でありかつ違う次元だから、マリという新しいキャラクターもあり、アスカも式波という別の名を持って、参号機に搭乗もありなのだ。

さて、となると、『急 (Q)』は、どうなるのか?
レイを取り込んだ初号機のシンジは、カヲルの乗ったマーク6イコール初号機と対峙することになる。
自己との戦いだ。
『序』では、まだ母親(レイ)に護られていたシンジは、『破』では逆に母を救った。
次に超えるべきは自分自身だ。
次の『Q』はquickeningらしい。辞書で最初に出てくる意味は「胎動」だが、「よみがえらせる」という意味もある。
シンジは、母からも母のようなものからも、そして父の書いた脚本からも脱却して、最後に自己をも超える。
それを庵野はどう描いてくれるのか。
とても楽しみだ。
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by nyoirin | 2009-07-06 19:36 | マンガ・アニメ

金木犀の香り

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昨日、駐車場に向かう坂道を歩いていると、金木犀の香りがしてきた。駐車場ととなりのアパートとの境に、一列に金木犀が植えられているのだ。
ああ、またこの季節なのだ…と、思いながら、胸にいっぱいその香りを吸い込むべく、深呼吸をした。

この香りに出会うたび、毎年思い出すのが、内田善美の『星の時計のリデル』だ。あいにく、すぐ手の届くところに件の本が見あたらないので、かわりに『空の色ににている』のカバー写真を載せてみた。
内田善美は、大島弓子に並んで、私にとっては最重要漫画家の一人だ。
この『空の色ににている』も同じものを2冊持っていて、ひとつは秘蔵されている(と言うと聞こえが良いが、暗黒山の最深部に埋まっているということ)が、もう1冊はいつもそばにあって、くり返しくり返し読み返している。もう何度読み返したかわからない。昨日も、夜一人でしんみりと再読したばかりだ。

『星の時計のリデル』も、数年に1回は読み返している。発刊当時、たしか当初の予定の日よりだいぶ遅れたと記憶している。そして実際私の手元に届いたときが、まさしくこの季節で、もしかしてわざと金木犀の香りに合わせて遅らせたのか?!とかんぐったくらいだった。
以来、金木犀の香りと内田善美は、セットになって私の記憶から立ち上がってくるようになった。
『星の時計〜』も『空の色〜』もその他の持っている内田善美の全ての作品を、何度も読み返し何度も思い出しながら、ことばの一つ一つ、コマの一つ一つについて、思いを巡らし、反芻している。
もちろん中には今読むと、ちょっとこっぱずかしい表現もあるのだが、それも時代ということで、微笑ましく思う。


今日は、美しい日だった。
空は澄み渡り、あたりには金木犀の香りが漂っている。
昨日までの雨のおかげで、常緑樹の木の葉は、ピカピカ。
風にひるがえって、きらきらと輝いている。
全てが「然り」と言っているようだ。
なんて素敵なんでしょう!
何もかも、完璧だわ!

今夜は、クリームシチューともやしを使ったアサリのボンゴレ風にするのだ〜♪
シチューとかお鍋とかが美味しくなる季節がやってきて、幸せ〜♪
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by nyoirin | 2008-10-02 17:01 | マンガ・アニメ
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まず、なんなんさんへ。
度々申し訳ありません。前言撤回いたします。
やはり、作家の人となりは、作品評価には組み込んではいけませんね。
あのあとも、つらつら考えました。
感想を持つのは自由だけれども、評価する場合、作品そのもの以外のものは、混ぜてはいけないと思うに至りました。申し訳ありませんでした。私は、そういうものを、混同していました。
私のは、評価ではなく、観ての感想です。



で、『スカイ・クロラ』と『攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL2.0』の押井守豪華二連発。
せっかく都会に出たので、どうせなら地方のシネコンでは上映されない映画を、なるべく観ようと思いました。

『スカイ・クロラ』。
観にいって良かった〜。
事前に押井監督のインタビューは観てしまったが、映画の内容に関しては、ほとんど何も情報を仕入れないで観たのが、とても良かったと思う。
淡々と、静かに進行してゆく中、主人公たちが置かれている状況が、徐々に明らかにされてゆく。
川井憲次の音楽が、切なく鮮やかに静けさを縁取ってゆく。
押井守が、ずっと追い求めて来た「生きているって何?魂って何?どこまでが個と言えるの?」が、ここでは更に深く掘り下げられていた。
『攻殻』までは、ゴーストの最後の砦は「記憶」だった。人間にとって「記憶」こそ何にも勝る宝だ。
『スカイ・クロラ』のキルドレと呼ばれる子どもたちは、記憶は失うが永遠に生き続ける。本人も気づかない癖だけを残して。まるで、烙印のように。
「それに何の意味がある?私を、殺して」と叫ぶ子ども。
大規模作戦で、通常とは違うたくさんのレシプロが大編隊を組んで戦闘に向かうシーンでは、その禍々しさと、それとは裏腹な圧倒的な美しさに、胸が潰れる思いがした。

考えてみれば、キルドレは私たちなのだ。
私は、生まれかわりを信じている。
キルドレは、私たちだ。
私たちも、今生は今生の課題をクリアするために、生まれかわっているのだと思っている。
前の生の記憶がないのは、そのほうが良いからだ。ただ、その気配、想いの痕跡みたいものだけ残されているだけで。
そして、今生きていると思っている今生も、実は自分も毎日死んで毎日生まれているのだ。細胞は分子レベルでは、ものすごい高速で毎日入れ替わっているのだから。

「昨日と今日は違う。今日と明日もきっと違うだろう。いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも通る道だからって景色は同じじゃない」
主人公のモノローグで物語は、最高潮に向かう。

「きみは、生きろ!」

前作の『イノセンス』と違って、今作は、奇しくも(?)『ポニョ』の宮崎駿同様、わからいままにしておくというところがなく、はっきりと私たちにメッセージを示していると思う。素晴らしい!
もしかして、一番おとうと弟子(?)の庵野秀明の怒りの黒いポスターのせい?
やっぱりみんな負けず嫌い?もしかして?

もう一度観たいと思った。





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『攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL2.0』
観られなかったら、仕方ないと思っていたのだが、観ることができて良かった。
もちろん、’95年版のほうは劇場では観られなかったものの、DVDで何度か観ている。
オープニングのCGは、最初からできたらこうしたかったんだろうなー、と思った。落ちながら、光学迷彩で消えていくときの素子の表情に、グッときてしまった。バトーじゃないけど、思わず「もとこーっ!」と叫びたかったわ。どちらかというと、「なかむらやっ!」的な意味で。
人形使いの声が、家弓家正から榊原良子にかわっていたのも、面白かった。どっちもありだと思った。ただ、女声のほうが、より素子とシンクロしてしまうぞという、恐さのようなものが、伝わってくるように思った。

そうだよなー、全てはここから始まったんだよなー。

『スカイ・クロラ』→『攻殻2.0』と遡行して観たので、やけにしみじみと感慨にふけってしまったようだ。
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by nyoirin | 2008-08-24 18:06 | マンガ・アニメ
前回の記事で、なんなんさんのコメントに返コメしてたら、膨大になりそうになったので、記事として書くことにしました。

なんなんさんへ。
まず、誤解があります。私は、宮崎駿がマザコンだから『ポニョ』を評価しないなどとは、言っていません。宮崎ワールド全開だし、『千と千尋〜』や『ハウル〜』と違って、わからないままにしておくということをしなかったし、物語としてちゃんとおとしまえをつけてるし、って言っているではありませんか。
ただし、だからこそ作品評価と関係ないとは思いません。関係大ありだと思います。

全ての創作者=芸術家には、作品を創る、創らなくてはいられない動機というものがあります。無意識的にしろ意識的にしろ、それが何かのコンプレックスであること、言い換えると、抑圧された心であることが、多いと思います。報われない想いです。
つまりは「報われない愛」です。もちろん、それが全てだとは言いません。
でももし、チャイコフスキーが同性愛者でなかったら、私は今、こんなにも愛するあの交響曲第6番を聴けなかったかもしれないし、ゴッホがテオ以外のたくさんの人から理解され愛されていたら、少なくともゴーギャンだけでも彼を理解していたら、そしてあの黄色い家でずっと一緒にいてくれたら(やはり有り得ないとは思いますが)、私はあの青い部屋の絵の前で、泣くことはなかったと思うし、何より、なんなんさんの言っていた、クリント・イーストウッドに、戦争に行かなかったというコンプレックスがなかったら、彼の一連の素晴らしい監督作品がこの世に生まれることもなかったと思います。。(もちろんこの世に、本当は「もしも」はないと思ってますよ!)
宮崎駿のマザーコンプレックスも、そうした作品を創作する原動となったはずです。マザーコンプレックスという名称がいけないんですね。母親に対する報われなかったと彼が思い込んできた想い=愛です。
それが、今回『ポニョ』を創るにあたって、自身もこの歳になってやっと、彼は受け入れることができたんだと(母も自分も)と思います。

私の勝手な推測ですよ。
『ポニョ』の中で、宗介が母親のことを『リサ』って、名前で呼んでるでしょ。あれは、お母さんとしてではなく、母も一人の女性なんだ(「人間だもの」なんだと)と、あえて思おうとした宮崎監督のけじめ(?)っていうか覚悟(?)っていうかの表れではないかと思うのです。そう思えるようになったということの表れ。「女としての母」も受け入れられるようになったと。

私は、今回の宮崎監督の『ポニョ』は、ようやく監督自身が、「自分は母親に愛されていなかった。自分は生まれてきてはいけなかったのではないか」という呪縛から、抜け出せることができる…できた…その第一作目だと思っています。
そういう意味では、記念すべき作品だと思います。

作品評価において、コンプレックスが創作の動機になっているからが評価を落とすのではなく、創作者が、そのコンプレックスにいつまでも拘泥しているのではなく、作品としてどこまで昇華させているかが、大事なんだと思います。

人は、全て生まれながらにして、何らかの欠落を持って生まれてくるんだと思います。程度の差、種類や方向性は人それぞれ様々な欠落です。それを、何かで埋めたい、補いたいと思いながら、生きてゆくんだと思います。ほとんどの人が、それを意識してはいないと思いますが。
なんらかの欠落を持った人が、また人を生み育てるので、途中自分の欠落を、相手に反映していってしまうのです。
それが、親から子へ、そのまた子へと、連綿と続く鎖となって、継承されていってしまうのです。途中のその中の誰かが気づいて自分で自分を超えることができるまで。
でも、それは容易なことではありません。
気づくだけでも大変だし、気づいても自らそれを受け入れ、超えてゆくのはさらに大変なことです。それには、相手を、引いては自分を、あるがままに受け入れ、許さなくてはならないからです。
無意識的にしろ意識的にしろ、そうしようとしてジタバタすることのひとつに、創作があるんだと思っています。
芸術家はだから、苦しいし、ある意味不幸せなんじゃないでしょうか。ですが逆に、その「想い」を昇華できるかもしれない創作ということを見つけられたという意味では、この上なく幸せだとも言えるでしょう。
でも一番幸せなのは、きっと私たち鑑賞する者なのかもしれません。
芸術家がジタバタしてジタバタして、結果昇華させることができた素晴らしい作品に、触れることができる者は幸せです。

私は『ポニョ』で、宮崎駿の鎖を見せつけられた(と感じた)のです。
だから、私は自分が綱っがている鎖を顧みたのです。
私もここでさらに正直に言うと、彼の鎖の形状と、私の鎖の形状が似ていたんです。
だから、過剰に反応したのかもしれませんね。
宮崎駿には宮崎駿の欠落があったように、私には私の欠落があります。
私も、私を超えなくてはなりません。

というのが、私の『崖の上のポニョ』について、です。
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by nyoirin | 2008-08-19 18:48 | マンガ・アニメ

崖の上のポニョ

なんなんさんの、熱い推薦を受け、先週観にいってまいりましたよ〜。

久しぶりの、宮崎ワールド全開の作品でしたね。

わたくしの正直な感想を申し上げましょう。
観ている途中から、私には、「おかあさーん、おかあさーん」という叫びに似た声が、ずっとずっと聞こえ続けていました。
日本男児は、みーんなみーんなマザコンだわ!と思った次第です。

そして『エヴァ』に思いを馳せ、庵野はしっかり駿先生を継承しているのね、と思い、方や押井はも少し違うわ、と思った。
『スカイ・クロラ』をまだ観ていないので、なんとも言えないが、NHKの特別番組で、押井は今回『スカイ・クロラ』を作った動機はただひとつ--「今、人生のスタート地点に立った若い人たちに言いたい。つらいだろ。俺もつらかったから、わかるんだ。でも今人生の二周目に入ったと思っている俺から言わせてもらいたい。でも、人生すてたもんじゃないぜ。と」と、はっきり言った。
ずいぶんはっきり言うなと思った。
『攻殻』ファンとしても、これはなんとしても観に行かなくてはと、思った。

奇しくもその翌日だったと思う。同じNHKで『プロフェッショナル』のゲストが宮崎駿だった。
宮崎も、初めてじゃないだろうか、母親のことに言及していた。
母親との関係を、ずっと抱えてきたことを。人を楽しませることができなければ、自分は存在している意味がないのではないかと、ずっと思ってきたと。詳しく語ることは、拒んでいた。自分でも「このことを追求していくと、精神分析的な、精神医学的な話になっていくんだろうと思うけど。これ以上は、あまり言いたくない」と言っていた。
作中のトキさんは、その母親がモデルだと言っていた。

ある意味カミングアウトしたと言えるのではないだろうか。
そのせいか『ポニョ』には、前作『ハウル』やその前の『千と千尋』に比べ、わからないままにしておくというところがなかった。
とてもよく出来ていたと思う。
強く求める気持ちが、津波をも起こすこと。純粋な故に、それが地獄の蓋ではないがこの世界の、本来だったら開きはしない扉を開けてしまったこと。それを元通りに閉めるには、開けてしまった者が、『法』に従って(?)それなりの責任をとらなくてはならないこと。
納得。

では、母としてはどうすれば良いんでしょうね。

守るけれど、取り込まない?
愛するけれど、構わない?

最近、典型的な母と息子一体化現象の真っただ中に放り込まれた感があるので、ことさら、こんな風に感じてしまったのかもしれない。
私は、それではいけないと思いつつ、当事者が、あまりにもみんな気づいていないので、もしかしたらかく言う私こそ、全く気づいていないのでは?!と、疑心暗鬼に苛まれるのであった。

ああ、心してかからねば。
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by nyoirin | 2008-08-12 18:17 | マンガ・アニメ

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin