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 高橋たか子の「日記」を読んでから、「亡命者」「遠く、苦痛の谷を歩いている時」「土地の力」「放射する思い」「私の通った路」「神の海 マルグリット・マリ伝記」と続けて読んだ。「私の通った路」は2回目だが、あとは何度も繰り返し読んだものだ。そこでつくずく自分は中途半端な人間であると思った。私はまだ「うつくしいものに感嘆してしまう」。
 『うつくしいものすべてに感嘆しながら、わたしはこの道を歩いてき、そうしていつのまにか別な感嘆が、彼方からわたしを招いているのです。

 そうです。そうです。

 わたしの探しているものはといえば、それなのです。

 わたしもそれなのです。彼方から招いているから探している。逆ではない。不思議なことですけど。』
 
 私が渇いているのは、やはり彼らと同じように招かれているからか。
 『すでにその中にいるけれども、同時に探している。不思議なことです。

 一生探していくのだと思いますよ。探し終わることなぞありません。』
                            『』内「土地の力」より

 
 「土地の力」を読んで思ったことは、今はまだその時ではないということ。推測もしくは希望にすぎないかもしれないが。もしこのあと、私に探しにゆく機会があったなら、それはそうすることが必要だということだし、なかったならば、そういうことだ、ということだ。
 また、こうしていながら、探してゆくことができるもう一つの道を行くことができるようになるのかもしれない。それも、もしそうならば、それもまたそういうことだということ。
 「ここ」は「そこ」と対極的な場所では決してなく、同じ花の花びら=「表層」だから。

 もう一つ、「神の海 マルグリット・マリ伝記」にパスカルの「パンセ」から引用があった。
 『人々の不幸一切がたった一つのことに由来するのがわかった。すなわち、一つの部屋に休息したままでいるすべを知らないこと。(中略)喜んで自分の部屋に留まっていることができないからこそ、会話や遊戯という気晴らしを探す』
 『すべての事象は、虚無から出て、無限に運ばれていく。これらの驚くべき運行を、誰が辿るだろうか?それらの驚異の作者はそれらを知っている。他の誰も、それができない』
 『わたしは先行し後続している永遠のうちに呑み込まれている。わたしの人生の僅かな期間を視つめる時、(中略)わたしが知らずわたしを知らない諸空間の無限の広がりの中に投げ込まれている。わたしが占めていてわたしが見てさえいる、小さな空間を視つめる時、わたしが別なところではなくここにいるのを見て恐れ驚く。なぜ別なところではなくここなのかの、なぜ別な時ではなく今なのかの、理由がないから。誰が、わたしを置いたのか。誰の命令と導きによって、この場所とこの時がわたしに充てられたのか』

 今はカトリックの教えをもう少し知りたいと思い、ポール・ドゥバン神父が編んだモーリス・ズンデル師の「人間を見るもう一つのまなざし」を読んでいる。私は聖書を読み込んだ訳ではないので、難しい専門用語(?)などがあって理解が及ばないところもあるが、少しづつ読み進めている。
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by nyoirin | 2005-08-28 14:13 | 本・読書
 昨日の夜から、どことなく空気に秋の気配を感じる。今朝起きたら、ますますその感じが強くなった。風にほんの一部分、「秋」が入り込んでいる。ほんの少し・・・。
 やがて陽射しの角度が低くなっていき、通学路の土が白く乾いて、夏休みの終りを告げるのだ。
 そういえば、夕べから虫も鳴き出した。こうして用意周到に夏と秋がそっと交替してゆく。
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by nyoirin | 2005-08-17 10:52 | 日記
「フリーダ」をCATVで観た。映画館で2回観た作品。世界の端っこで絵を描く人の端くれとして(端の二乗)、彼女には脱帽する。どんな状況に陥っても、決して絵を描くことをやめない。事故の大怪我からようやく立ち直って、自分のそれまで描いた作品を持って、ディエゴ・リベラに見てもらいにゆく。「私は才能があるか。絵を続けるべきか」というフリーダの問いに、リベラは「絵描きなら、描かないでいたら死ぬはずだ」と答える。そうなんだ。描かずにはいられないのだ。
 トロツキーが亡命してき、フリーダの実家にかくまうことになる。母国のスターリンによる粛正。ここでも同じことが繰り返されたことを知る。人は権力を手にするとなぜみな同じことをするようになってしまうのか。規模の大小にかかわらず。規模はその人の器の大きさに比例する。だが大きさは違ってもすることは同じだ。なぜ誰も、そこから逃れられないのだろう。
 映画「フリーダ」が好きなもう一つの理由は音楽。ジャンルがよくわからないのだが、メキシコの音楽に惹かれてしまう。マリアッチというのかしら?どういうのがマリアッチなのか全く詳しくないのでわからない。あの、女性が唱うファドのような歌はなんという種類なのだろう。ほかに思い出すのは、ジョニー・デップ主演の「ドン・ファン」でマーロン・ブランドーもフェイ・ダナウェイもみんなで踊りまくってしまうラストシーンの曲みたいのが大好き。「フリーダ」の音楽と同じ仲間だと思うんだけど、これらはなんという音楽なんだろう。メキシコ音楽?
 ところが久しぶりの「フリーダ」中に、地震!かなり長く感じられた。今日はツウがどこに隠れてしまったかわからなくて、このまま大事になっても連れて逃げられない!と思ったら、少し慌てた。幸い大事にはならずホッとした。
 そんなこんなの「フリーダ」。ラストの燃えるベッドに横たわる彼女自身の絵はやはり素晴らしい。
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by nyoirin | 2005-08-16 17:00 | 映画・ドラマ
昨日「アイランド」を観てきた。ほとんどショーン・ビーンを観るために。メリック博士の素敵な姿に釘付け!私にはそれだけで十分なのだが、映画としての感想も述べねば(?)。謎ときも半ばではっきりし、じゃあどうするの?というときに、なが〜いカー・アクション。スローで再生までしてくれて、お腹いっぱい。そんなことよりはやく進んでよ!と心の中で叫ぶ。で、ラストへ・・・あれでいいの?え?これで終わらせちゃうの?この人たちの基本的な問題はほったらかし?みんなで見晴しのいいところへ行けば解決?この状況を察知したら合衆国空軍が黙っちゃいないのでは?大統領もクライアントなんでしょ?成り変わって生きていけるの?ジョーダンのほうはこのまま?・・・。などなど、つっこみどころ満載だった。でもいいの、ショーンさまにお会いできたから。嬉しい・・・幸せ・・・。
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by nyoirin | 2005-08-12 23:24 | 映画・ドラマ
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友人の編集者・評論家のなんなんさんも執筆している本「スピルバーグ 宇宙と戦争の間」/竹書房¥1500が出ました。これでなんなんさんの正体が多少なりともバレてしまうかも?しれませんが、皆さん買って読みましょう。かの浅田彰氏や、同じ竹書房から出た「宮崎駿の世界」でも押井守と面白い対談をしていた上野俊哉氏など興味深い執筆陣です。さっき買ってきたばかりでまだ読んでませんが。私はなかでも重要な作品であると思われる「アミスタッド」「ターミナル」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の三つを見逃したままなので、読む前に観なくては!
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by nyoirin | 2005-08-01 00:02 | 本・読書

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin