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水色シンドローム

去年の初めに、自ら長らく封印していた「青」を解禁にした。
多方面に渡って、それが波及してきている。
今年になってから、とくに「水色」に激しく惹かれるようになった。
それで、密かに「水色」の物を集めている。
うふふ…
水色のポシェット、水色のハンカチーフ、ラリマーのブレスレット、ラリマーのペンダントヘッド、水色のポシェットとおそろいのトートバック…
水色シンドロームだわ〜008.gif
このまま症状が進んでいったら、ちょっとまずいことになるかもね。
それは、ホントにまずいので、そろそろブレーキをかけなくちゃだわ。
でも、30年近く封印してきた反動があるのだわ。
我慢し過ぎるのは、良くないわね、やっぱり。
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by nyoirin | 2012-05-22 17:02 | 日記

表層の黒猫

つくずく、これらは皆、表層の黒猫に過ぎないのだな。
以前は、すぐに黒猫があばれだして、その度になんとか収めようと、なだめすかしてみたり、押さえつけてみたりしたものだが、あれ以来、そんなこともなくなった。

皆が、どうしてもそこにひっかかってしまい、自由になることが出来ない事柄なのだが、ひとたびこれが、ただの「表層の黒猫」であることがわかってしまえば、なんてこともないのに。
人はなかなかそうはならない。
実際私も、サード・インパクトが起るまでは、黒猫にずっと係っていたわけだから。

真理は、すべては一枚の写真と同じ、ただのひとつものだということ。
私がいると思っている「私」なんてものは、幻想に過ぎず、私もあなたも、男も女も、白人も黒人も、犬猫も人間も、机も椅子も雑巾も玉座も、森も山も海も空も、死んだ人も生きてる人も、なんの区別も無く、みい〜んな一緒、みんなみんな一緒なのだ!ただこれだけ。

小さいとき、親がこうしてくれなかった、ああしてくれなかった、とか、しょっちゅう殴られてたとか、いつも否定されてたとか、傷つけられてたとか、私自身もある意味そうだったのだけれど、それにずっと拘泥してた。それは、自分にとっては、重大事だったから。仕方ないことと言えば、仕方ないんだ。
そう育てられた人は、なかなかそのことから解放されない。
まずそこに気づくのが大変だ。
だけど、ニューエイジ系の心理学者などは、気づくことが出来れば、ほぼ治ったも同然みたいなこと言うけど、そうは簡単じゃない。
気づいてから、今度は、親を許しましょう、と言われるんだ。親に感謝して、親を許しましょうって。
それが、なかなか容易じゃない。
「だけど、私は、親に、こんなことされたんだ!親から、こんなことを言われたんだよ!」
それでも、親に感謝しろって。言うの?親を許せって、言うの?って。
親に虐待されたり、無視されたり、放棄されたり、ネグレクトされたりした傷つけられた人間は、なかなか出来ないんだよ。
私も、それがずっと出来なかった。
理屈、頭ではわかる。
親は、生んでくれただけでありがとうなんですよ、と。親には感謝しなくてはいけませんよ、と。
完璧な人間なんていない、完璧な親なんていないんだから、と。親も子もないんだと。

また、人に酷いことされたとか、傷つけられること言われたとか、ということもある。
自分は何も悪いことしていないのに、なんでこんな目に遭うんだとか、なんで、こんな境遇に生まれてきたんだとか、なんでこんな病気になったんだろうとか、なんでこんな怪我をしてしまったんだろうとか、いろいろな「酷いこと」がある。
ところが、自分はこんななのに、酷い目に遭っていない人や良い境遇に生まれた人や健康で幸せそうな人がいる。
その痛みや悲しみや怒りや妬みは、いかんともしがたい。
だから、他人を呪ったり、運命を呪ったりする。
するとここでは、人を羨んだり、嫉妬したり、恨んだりしちゃいけませんよ、と言われる。
それはそうだ、ごもっともだとは思う。
でも、心からそうすることは、簡単なことではない。

仏教でも、「自他不二」と言って、自分と他人は一つなんですよ、自分も他人もないんですよ、とか教えてくれるし、般若心経にも「色即是空空即是色」と書いてあって、この世の現象はすべて幻想ですよ、とも教えてくれる。
おっしゃることは、よくわかる。
でも、それが実感出来ない。体感出来ない。
きっとそれが本当なんだ、ということは、わかる。
でも、どうしてもそれが実感出来ない。体感出来ない。
実感出来れば、体感出来れば、きっとそこから解放される。


果たして、その通りだった。
そうすれば、人は、真の自由を得られるのだ。(得るという言葉も、本当は適切ではない。言葉は常に不完全だから、仕方ないのだが)
みんな、このままで、みんな一緒で、真に自由なのに、何故みんな表層の黒猫にかかずらったままなのだろう。
この、もどかしさを、どうすればいいのだろう。
ただのひとつものの、区別のない、この全てが、どんなに素晴らしいか、言葉では決して言い尽くせない。
それは、慈悲であり、愛であり、美なのだ。
だが、それは一見して、今となんら変わったところのない世界だ。
相変わらず、生まれてくるし、病気にもなるし、老いてゆくし、最後には死ぬだろう。
だけど、もはや「苦」ではないのだ。
だって、みんな一緒だから。死ぬことも生きることも同じことだから、一緒だから。親も子も、一緒だから。
日本人もアメリカ人もフランス人もケニヤ人も、一緒だから。
みんな、一緒なんだよ。区別なんてないんだから。

だけど、それに与るのは、難しいことだよな〜。
だいいち、ほとんどの人が、それを求めていないんだものな〜。
みんな、黒猫が大好きなんだよな〜、すごく不思議だけど。
なんでなんだろう…
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by nyoirin | 2012-05-19 17:25 | 日記
ついに!100g刻みで計れるデジタルの体重計を購入!
するとなんと!恐ろしい現実がっ!!005.gif
以前ここでも記事(2007.5/16など)をアップしたが、数年前に約2年かけて5kg落とした体重が、このひと冬で元の木阿弥に!それどころか、さらに太っていた!
なんとなく自覚はあったのよ。
この冬の空腹感ったらなかったの、すごくて、お腹が空いてお腹が空いて、とても抗えないほどの強い空腹感と毎日戦ってた。
で、それに負けたわけ。
あの、2年間の大変な思いは、見事に空気に溶けちゃったみたい…007.gif
その体重計はとても親切で、他にもいろいろわかる。
体脂肪率も、あの頃より8%も増えていた008.gif
最低だ。

そこで、年上の友だちのlavenderさんが、自身が成功したダイエットの方法を教えてくれた。
NHKの「ためしてガッテン」の「ガッテン・ダイエット・クラブ」(http://www.nhk.or.jp/gatten/から入れます)というのに入って、毎日朝と夜の自分の体重を計って記録してゆけば良いのだと言う。
レコーディング・ダイエットの1種になるのかな。
それで、さっそく私も入会。
明日で入会1週間になるのだが、1日100gずつ減ってきている感がある。が、どうなることやら、もちろんまだわからない。
だが確かに、ハッキリこの目で数値を見ると、増えたらすごく「いかん」と思うものだ。
食事は、以前と同じ、昼食を豆乳orおから系クッキーのみを厳格に守って、再びがんばろうと思う。
途中経過および目標体重達成のあかつきには、またご報告申し上げます。
ので、皆さま応援よろしくお願いいたします。
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by nyoirin | 2012-05-10 15:29 | 日記

エンジンがかからない

おやおや、今日はどうしたことか、エンジンがかかりませんよ。008.gif
星占いを見たら、今日は12位。義務とか考えず、今日は小休止の気分で、一人になってゆっくり好きなことして過ごしなさい、って。
で、仕事に取りかかろうとしても、なかなか取りかかれなくて、星占いなんか見ちゃったら、こんなこと書いてあったんで、やっぱりそうかー、なんて思っちゃってる。
思い切って、休んだほうが、良いのかもね〜。
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by nyoirin | 2012-05-04 15:36 | 日記

思うに

’09年にディープ・インパクトを受ける。
翌’10年10月13日にセカンド・インパクトを受ける。
その時点で、W氏に、「きっとそのうちサード・インパクトも受けるよ」予言される。
果たして、’11年12月1日、サード・インパクトを受けるに至った。W氏の予言どおり!

予言されたときは、まさか自分にそんなことが起るとは、思ってもいなかった。
確かに私は、「それ」を強く切望していた。
しかし今生で、この私ごときが、そんな恩寵に与れるとは、想像もしていなかった。

かの場所から、お暇をいただいてから、もう2度とその道に足を踏み入れることはないだろうと思っていた。以来、ひとり、何の指標も無く谷を彷徨い歩いていた。唯一手には、古い伝え聞いた言葉を残す数冊の書物があるのみだった。

しかし、3年前にK氏に出会い、彼の言葉に激しい衝撃を受けた。
それまで自分のやってきたこと、信じていたこと、その本質を鋭く突かれ、文字通り頭をぶん殴られたほどの衝撃だった。
それから、K氏を通して先出のW氏とのご縁があり、新たな衝撃を受けることになった。このご縁で、有り難いことに私の目からにさらにウロコが落ちた。
そのW氏がこれまた有り難いことに、私をしつこく誘ってくださり、もう一度その道を歩いてみることになった。
最初は、うかうかとその場に行った自分の浅はかさを責めた。そして罰当たりなことに、W氏を呪った。
しかし、切望して切望して、でも決して得られないと思っていた「それ」が、なんの前触れもなく突然訪れた。(訪れるという言葉も、「それ」も、どれも適切な言葉とは言えないのだが、いちばん近い言葉として仕方なく使っている)「それ」は、言葉では決して表現できない。閃光であり、永遠の光であり、全てであり、時間も空間も超越していて、かつ「無」なのだ。それは、この上なく素晴らしく、有り難く、美しく、「愛」であり、区別なく、部分でなく、全体で、ただの一つなのだ。

今は、心から、このご縁とW氏に感謝してもしきれないくらい感謝している。言葉では、とても言い尽くせないほど、感謝している。
そして、そのおかげさまで、ご老師ともご縁を得ることができた。
また再び、戻るとは思ってもいなかったが、これも彼のかたのご慈悲、お導きなのであろうかと思う。(これも彼のかたなどいないのだが…。いるけどいないのだ)
今は、この恩寵をこのままにせず、また自分だけのものにもせず、日常をどう生きるか。「阿留辺幾夜宇和」を思いながらである。
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by nyoirin | 2012-05-02 15:03 | 日記

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin