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ヨハネに想う

『十字架のヨハネ研究』を読み終わる。
ヨハネが、私のところへ押しよせるようになってからか、遠いいつぞやと同じ感覚が甦るようになり、少し考え込む。
合わせて、高橋たか子の『放射する思い』を再読(実は4回目)。また、同じく高橋の最新刊『どこか或る家』も読む。
一気に、私をカトリックの世界へと誘う。そしてさらに、いつぞやの感覚が強められる。

私は、高橋たか子から始まった、この16世紀スペインへの巡礼に、何を求めているのか?私は、何が知りたいのか?
答えは、既に求められている。
それは、生きながらにしては、決して「完全に」には行き得ないその場所へ、近づきたい、行きたい、行ってみたい、行く方法があるのなら知りたい、ということ。
しかも、私は、ここで示されている道ではない道を通って、行きたいと思っている。実に始末に困った人間だ。

このことを高橋たか子が知ったら、ただちに否定されるかもしれない。いや、きっとそうに違いない。
かつて、遠藤周作や井上洋治神父が言ったように、これは汎神論的であるから。でもそれは多分私が立っているところが、仏教の土壌だから、どうしてもそうなってしまうのだと思う。
遠藤周作が『深い河』で言っている、ガンジーの言葉に、私は深く共感する者であるから…

ペルソナ対ペルソナと言う以上、そんな考えは、許されないに決まっている。そもそもがおかしいと、言われても仕方ない。でも、仕方ないのだ。
by nyoirin | 2007-06-18 22:20 | 本・読書

2015.4.1.より、身の回りの小確幸(小さいけれど確かな幸せby村上春樹)を見つけてつぶやきます。


by nyoirin